エッセイ

いきなり。

いきなり相性問題が、出た。

こないだ買ったα-7 Digital。うーん。
一昨日?買った、シグマの18-50mm F3.5-5.6をつけて使ってたら、
合焦のマークが出るのに、じつはピンぼけ、みたいな。

あんまり公の場に、不確かなことを書いちゃあ、いけないのかな。

でも事実なんだもん……。

えっと、ここから延々と、飽くなき検証が、始まるわけです。(笑)
別に好き好んでやることじゃない罠。これこそ罠だ罠。(爆)

ってあんまりおもしろくないね。まぁ、いいや。

おれそういえば、知らない人の前で喋るの、得意じゃないってことに
今日気づいた。訓練が圧倒的に足りないなぁ。気が置けない少人数の
前で喋るのは、すっごい得意なんだけど……。あ、聴衆の反応にビビッドに
反応しすぎなのかな? って、「反応」が二つダブってますね。こういうときは
最初の、聴衆の……のほうを、反応という言葉を避けるのが正しいあり方ですね。
って、どうでもいいか。そんなことは。ま、いいや。いまのくだりを、もういっぺん。

あ、聴衆の反応にビビッドに●●しすぎなのかな?

結局、前の「反応」を活かすことにしました。おのずと、後ろのほうを
変更することが必要となるわけで。しばらく黒丸ふたつを前にして、しばらく
じっと沈思黙考。用ボンド。いうと思った。いおうと思った。この会話、ずっと
前の、小倉家の兄弟の間で、すごく頻繁に繰り広げられていた。僕がいまのキャラを
獲得したのって、上下に3人いる兄弟(自分を除いて)の存在って、すごく大きい。
とくに、1つ上にいた姉の存在は、すごく大きいんだろうなぁ。やっぱり。


河合隼雄さんが、昨日の毎日新聞朝刊に、「オウム事件10年」という文を
寄せている。

要旨としては、

・オウム事件から10年たって、世界のことを理解するのには「宗教」を抜きにしては不可能だ
ということが日本人にもわかってきた。

・日本人は無宗教ですましていると、世界のなかでまともに相手をしてもらえないだろう。

・超越的な存在に、神とか仏とかの名前をつけ、それにまつわる多くの事柄を信じる人が
集まると特定の宗教が生まれる。しかし、この科学技術の発達した世の中で、それを信じる
ことはだんだん難しくなってきている。

・自分の死をどう受けとめるのか。どうして利害や打算を超えて、人と人との間に
深い心のつながりができるのか。人間が人生の意味を考えはじめると宗教性が大切になってくる。

・日本人は宗教性と日常生活とを極めて巧妙にブレンドさせて生きる方法をつくりあげてきた。
ものを食べるのも、お茶を飲むのも、道を歩くのも、立ち居振る舞いのなかに宗教性をからませる
生活をしてきたのだ。

・最近の日本人の生活、個室、ファストフード、ケータイなどは、日本的宗教性を破壊するのに
役立つばかりだ。


最後の段で、河合さんはこう書いている。

ここで、日本人はこれまで意識して来なかった日本人の宗教性の意味をよく自覚し、それを
新しい生活のなかでいかに活かしてゆくかについて相当意識的に考え、実行してゆくことを
真剣に考えるべきだと思う。さもなければ、オウムと類似の事件は今も起こる可能性があると
言わねばならない。


半分は納得できるけど、半分は、弱いなぁ、って思う。

過去において日本人が無意識のなかに持っていた宗教性を、現在においては
意識的に持つべきである、と。

たぶん河合さん、自分で言ってて、そうとう無理なことを言ってるって、自覚してると思う。
そうじゃなかったら、新聞に書くため、載せるための文章。単なる。というふうに思ってるか。

河合さんは仏法の真髄を知らないんだろうか。

まぁ、いいや。


コダックが骸となって、そこから新しい芽が出始めようとしている。

明日あたり、購入しようかな、と考えているのは、シグマの18-50mmの明るいヤツ。
あるいは、ミノルタの17-35mmか。どっちかなぁ。うーん。シグマになるかな。たぶん。

先ほどのピンぼけ問題。相性問題だとすると、純正を選んだほうが、リスクは少ない。
でも、焦点距離と明るさからすると、シグマのほうが数段上で。うーん。

いやでも、AFでピンぼけになるんだったら、記念写真はMFで撮ればいいんだもんな。
毎日新聞時代は5年間、ほぼすべての写真を手でピントを合わせて撮ってたから、
サッカーのゴールシーンとかでもない限り、手でピントを合わせて写真を撮るのって
ぜんぜん苦じゃない。もちろん、十分なクオリティをもったピントグラスがあっての
話だけど。

αも、もう1台、たぶん買うことになると思います。いつごろかな。うーん、
4月の10日以降かな。もしかしたら、もっとずっと先になるかも。



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