エッセイ 伽倻子のために 見てた。ちょっと前まで。 こんな映画があるんだ。こんな映画があったんだ。映画でこんなことができるんだ。 この映画、ロードショウは何年のことでしょうか。僕はこの映画を、岩波ホールで、 ロードショウで見たというのが、けっこう自慢なのですが。 たぶん、ぼくが、大学生のころ? もしかして、もしかしたら、まだ 高校生だったかもしれない。もしかしたら。 初めて、見たときは、たぶん、ほとんど意味、わかんなかった。新聞の映画評とかで なんか、それっぽいな、と独りよがりに判断して、で、みて、得意になってた。 20年前に、見て、ほとんど意味が分からなかったことが、ほとんど、意味、わかる。 おれもすこしは、せいちょうしたのかなあ。 このあとこの映画、死ぬまでになんべん見れるだろう。 なんべんでも見てやろうというつもりで言ってるんだけど。 前に、というか、初めて、観たときは、日本と朝鮮とで引き裂かれた若い男女の 悲しい物語、というふうにだけ、とらえてたけど、いまさっき観たら、なんかそれ だけでもないんじゃないかしらん、って思えてきた。 たぶん、20年前に観て感じたその感じ方はその感じ方で正しいのだろうし、 いま見て感じたその感じ方は、それはそれできっと意味があるのだろう。 映画を観ていて、画面の美しさに目を奪われていたのだけれど、僕は大学4年の夏に はじめて一眼レフを買って写真を始めたのだけれど、この映画を観た、そのときと、 どれだけ近いときだったか、ということをずっと考えていた。 小栗康平監督のつくる画面構成、あまりにも素晴らしすぎて。 この映画の画面をずっと見続けていて、それで写真がやりたくなった、というのも あながち、的はずれじゃないんじゃないか、という気が、いましてる。 いちばん最初の台詞を、繰り返すけど、 こんな映画があるんだ。 back |