「愛について、東京」を見た。一般紙から映画の情報誌まで絶賛してた(ような気が した)ので、ものすごい期待を抱いて、中州の映画館に足を運んだ。思えば前回、 映画館に映画を見に行ったのは小倉の街で「愛人」を見たときで、あれは半年以上も 前のことで。その間みたい映画がなかった訳ではないのだが、たまの休みになると もう上映期間を過ぎており。そんなことで見逃した映画が山ほどある。 4Fまで途中の階には止まらないエレベーターで上がり、切符を買い、上映室へ 入った。上映開始10分前にもかかわらず、席に着いていたのはほんの数人で、 確かに、平日の昼間だし、ものすごい話題作、というほどではないにしろ、 それにしても、あんまりだなぁ、あの人の入らなさは。うん、あんまりだよ。 学生は今、春休みのはずだし、そういえば天神の街には若いお姉ちゃんたちが 春っぽい服を着て行き来してる。それなのに‥‥。もうちょっと映画を見ようね、 皆んな。 そんな気分になりながら、映画が始まるのを待った。これでもか、これでもかと ばかりに続く「次回作」の宣伝は、期待に反して一つもなく、逆にあっけない程 だった。タイトルが出、監督の名前と、スタッフと。 最初のシーンで、僕は打ちのめされた。そう、アルバイトの中国人留学生のひいた 引き金は僕に向けられたものだった。屠殺場で、食肉用の牛を殺す場面。もういいよ、 と思わせるほど、何頭も何頭も牛が殺されるシーンが続く。 《最近、というか、かなり前からなのだが、牛が殺されるところを見たいとずっと 本気で思ってた。そういうことをクリアーしないで何げに肉を口にしている自分が 嫌になってた、という安っぽい感傷からなのだが。それでも、(自分が食べる動物を 自分の手で殺さない)現代人が「残酷」という言葉を正確に使うには、必ず経験 しなければならないことだと僕は思う》 少し本題からそれた気がする。映画を見た印象(後味、かな)は一言で云うと 「やるせない」って感じ。見たあと、脱力感、無力感にとらわれてしまったと いうか。んーん、言葉にするとズレるんだけど、そうだなぁ、明日への希望が見えて こないというのかな、救いようがないというか。お先真っ暗というか。 水商売で働いた揚げ句に離婚をせまる妻を殺してしまう中国人留学生。日本人の ヤクザと一緒に姿を消してしまうヒロイン・アイリン。学ぶために日本を訪れたのに 金を稼ぐためのバイトと無為な遊びで毎日を過ごす留「学」生たち。何を言い出す にも「中国人は‥‥」という枕詞をつけないと気が済まない日本人たち。 《映画というものがどういうものであるべきか、という問題かも知れない。厳しい 現実を描き切り、安直にハッピーエンドにすべきでないというのも一つの定見かも 知れない。ただ、僕はやはり映画というものは見るものに生きる希望を与えるような ものであるべきだ、と信じている。それが「現実」に比べると芥子粒のような希望で あったとしても》 この映画を見ながら「伽ヤ子のために」(ヤの字はニンベンに「耶」の字です)と 「愛人」を思い出していた。そういえば、このどちらも違う人種同士の「愛」を描いて おり。特に「伽ヤ子のために」は僕の記憶に間違いがなければ日本人と在日朝鮮人の 間の物語で。この物語だって決してハッピーエンドじゃなかった。でも、一筋の希望は あったナ。そんな気がする。すんごく長いトンネルの、ずっと遠くに見える出口の 一点の明るさのような希望だったかも知れないけど。「愛人」だって、あれはあれで、 「愛というもの」を描ききっていた気がする。 これら↑に比べると「愛について、東京」は、「愛というもの」の描き方が全然 足りない、そんな気がする。「都会に生きる人たちのどこか乾いた恋愛」 (柳町監督の言葉、「シティ情報福岡」より)といってしまえば、それまで なのかも知れないけど。 いちばんいいのは「愛について、東京」っていうタイトルじゃないか、という気が する。うん、そんな気がする。全体的に、ちょっと期待外れだったかな、って感じ。 関係者には申し訳ないけど。   luciole