螢雑想<2> ●「さっちん」を見ましたか。 僕は見ました。いえ、さっそく買いました。新聞の広告で見つけて。いよいよ出る んだな、と。表紙の写真が広告に載ってて、それを見ただけで、相当良さそうで。 「さっちん」。言うまでもなく、荒木経惟(アラーキー)が太陽賞を取った デビュー作。下町のアパートに住む男の子たちを一緒に遊びながら撮った作品集。 30年たって、ようやく復刊された。 うーん、写真集の帯にも書いてあるけど、天才アラーキーの原点、これに尽きます。 良すぎます。はい。とにかくうんと短い広角レンズをつけて、ほんと、子ども達と 一緒に飛び回って遊びながら、完全に彼らにとけ込みながら、彼らの仲間に なりきって、撮ってる。彼が天才だとすれば、この「とけこむ、なりきる」という点 かな。一番すごいのは。うん。 ああ。うらやましい。ぼくの「さっちん」は、どこにいるのか。 (どこにもいなかったりして) ははは。 時代背景がどうとか、写真的な魅力がどうとか(付け加えるとすると、焼きは どうとか)、理屈は要りません。そんなものはあとから付いてくることで。自分が 撮りたいもの、どうしても撮りたくて撮りたくて仕方のないもの、それにレンズを 向けて、一枚でも多くシャッターを切った方が勝ちなのさ、そんなことを思ってます。 また一冊、大好きな写真集が増えました。 「さっちん」新潮社 定価1600円 ●「眼の狩人」を読んだ 大竹昭子著。一言で言うと、戦後の写真家の紹介。それでも、どこか他の写真史書とは 違っている。多くが写真史の概観に終始しているのに対して、この本は、非常に 写真家の内面に肉薄することに成功していると思う。この著者がニューヨーク滞在中に 衝動的にカメラを買い求め写真を始めてから、文章を生業とする人間にしては異例とも 言えるほど写真にこだわりを持ち続けている人物だからかもしれない。 紹介されている写真家は、東松照明、長野重一、森山大道、中平卓馬、比嘉康雄、 奈良原一高、高梨豊、柳沢信、渡辺眸、藤原新也、深瀬昌久、荒木経惟、 桑原甲子雄、篠山紀信。 個人的な感想を言えば(って全部そうなんだけど)、「言葉と写真の関わり」とか、 「どうして写真なのか」、もっというと「どうして写真でなければいけないのか」、 などという、自分が常に考え、悩み続けている課題に対して一つの示唆を与えてくれる 大事な本と出逢えた、という気持ち。自分が写真を続けること、写真と一生涯、 関わり続けていくことに、あらためて自信を持てた。 「何を撮るべきか」に頭を悩ませることも、もちろん大きな問題なのだが、それと 同様に、その瞬間、自分が何を撮りたいかに対してバカ正直なまでに敏感でいることの 大切さを知った。言い換えると、それでイイのだ、と思った。それしかないのだ、と 思った。 ほとんど悟りを開いてますが、この悟りと、「喰っていくこと」は、どこでどう交差 するのでしょうか。ほとんど「ねじれの位置」だったりして。宇宙の果てまで交わら なかったして。あはは。 是非、読んでみて下さい。理屈抜きに、写真ていいな、って思えると思う。うん。 太鼓判押しちゃる。ぺた。 P.S. 今すぐにでも、日常生活を放擲して、アジア一周撮影旅行に出たいなぁ。 誰かスポンサーになってくれないかなぁ。パトロンでもいいけど。 (って書いてたら、もしかしたらお金持ちのおじいさま《おばあさまでもおばさんでも いいけど》がいるかも知れんもんね、誰が見てるか分かんないし) よろしく。(何が「よろしく」だという声あり) luciole(小倉雄一) /POST